山口県内の米騒動の検事処分・裁判の概要

検挙者数・・騒擾事件調査票のうち山口県関係の表

国立公文書館アジア歴史資料センター・デジタルアーカイブ

「米価問題に付騒擾の件2止(14)」(Ref.C08021485500)。騒擾事件調査票は55~82頁(番号1527~1554)。

 

次の表は、上記の資料中の山口県内町村別教育程度・生活程度別表(70頁・番号1542)です。山口県内の検事処分人員は698名(21町村)であったことがわかります。

この21町村の中には詳細が不明な騒動が含まれていますが、管理者は米騒動の発生地としました。

 

検挙されても、拘留(30日未満の拘禁)、科料(20円未満)の軽微な警察犯は警察犯処罰令で行政官の警察署長が略式の手続き(違警罪即決令)で即決して予審に回付されないので検事処分者には含まれません。警察犯処罰令は戦後の軽犯罪法の成立(1948年(昭和23))により廃止されました。

検事処分となり、検事が起訴して予審に回付されるのは懲役1月、罰金20円以上の罪の被告です。(「拘留」は1日~30日未満で監獄内に拘禁する刑罰です。「勾留」は未決勾留ともいい身柄を一定期間刑事施設に拘禁することをいい、刑罰の「拘留」とは意味が違います。)

予審で免訴、無罪となる者や起訴後の公判で無罪となる被告もいます。

県内では、貼紙だと警察犯処罰令、予審・公判では、集会に参加し警察官の説諭に従って解散しない場合は騒擾罪の附和随行(いわゆる野次馬)で罰金20円、器物損壊や「やれやれ」と勢いをつけるような行動をとると騒擾罪の率先助勢で懲役6月、騒動の計画者は騒擾罪の首魁で2年以上というのが一般的な判決の基準となっています。

県内の最高刑は、宇部村で個人犯罪の放火罪1名(日本籍)が一審で無期懲役となりました。他に放火罪で2名(日本籍1名・朝鮮籍1名)が一審で懲役15年となりました。広島控訴院で無期懲役の1名は懲役15年に減刑されました。また、一審で懲役15年となった1名(日本籍)は広島控訴院で懲役10年に減刑になっています(朝鮮籍の1名は控訴していませんので懲役15年が確定しました)。従って県内の最高刑は最終的に懲役15年2名(日本籍1名。朝鮮籍1名)です。

なお、全国では和歌山県で死刑が2名あり、それ以外では無期懲役が最高刑です。

 

検事が起訴した後、戦前は予審制度がありました。予審判事(裁判官)が証拠を集めて予審をし、予審終結決定で公判(裁判官の審理)を決定していました。予審は、裁判官が公判を正確に早く進めるための制度です。

2024.6.22 訂正・更新

 

 

次の表の最下段の差別用語(被差別部落の歴史的名称)は管理者が塗りつぶしています。山口県では、他県でみられる、この塗りつぶした欄に人数の記載がないことが確認できます。すなわち、山口県の被差別部落では、検事処分にあたる米騒動は発生していません。

 

次の表は、アジア歴史資料センター「米価問題に付騒擾の件2止(14)」(Ref.C08021485500)、

騒擾事件調査票の中の、山口県内騒擾犯人町村別年齢別表79~80頁(番号1551~52)です。他県関係の部分は管理者が塗りつぶしました。(スマホ画面では番号1552が上に、1551が下になっています。)

 


「米価問題に付騒擾の件2止(14)」(PDFファイル)

国立公文書館アジア歴史資料センター「米価問題に付騒擾の件2止(14)」(Ref.C08021485500)55~82ページ。騒擾事件調査票(番号1527~1554)。管理者が塗りつぶした箇所があります。

 

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PDF29ページ。

県内の米騒動裁判史料の閲覧・開示状況と課題

≪予審終結決定史料≫

宇部村と安下庄町の予審終結決定書(筆写)が法政大学大原社会問題研究所(東京都町田市)に所蔵されていて利用者の資格を問わず閲覧・複写できる。

 

≪判決書≫

県内の米騒動関係の山口地裁一審・広島控訴院控訴審・大審院上告審の判決書は山口地方検察庁(山口市)が保管している。このうち、宇部村と安下庄町の騒擾事件の判決書は、布引敏雄と管理者が共同で地方検察庁記録係に開示請求し、閲覧が認められた(合計5回・1回につき2時間の閲覧許可・複写不許可)。

宇部村騒擾事件の一審判決書の主要箇所は高野義祐が筆写し、『米騒動記』(1959年)に掲載されている。布引と管理者で一審の判決書と高野の『米騒動記』を対校し、正確に筆写されていることを確認した。しかし、判決書の複写(コピー・写真撮影など)は許可されなかった。

 

宇部村と安下庄町以外の山口県内の騒擾事件の判決書の開示は許可されていないが、安下庄町騒擾事件を含む判決書綴りの安下庄町以外の部分と宇部村、安下庄町の2冊の綴り以外の他の2冊の綴りに記載されていると推察する。

山口地方検察庁保管『大正九年刑事裁判原本綴』は甲が4冊、乙が2冊ある(係官の説明)。宇部村騒擾事件は甲のうちの一冊(8.5cm)全部を占める。安下庄町騒擾事件は甲の他の一冊(4cm)の一部(半分以降)である。この2冊は「刑事参考資料」であり、綴りの1冊は背表紙に、1冊は表紙に「永久」と記載されている。

安下庄町事件が綴じられた一冊の半分の部分と甲の他の2冊に宇部村、安下庄町以外の山口県内の騒擾事件(19町村分か)の判決が記載されていると推察される。乙2冊は米騒擾以外の一般の刑事事件の判決書綴りではなかろうか。

 

≪課題≫

県内の米騒動の研究のためには、宇部村と安下庄町の騒擾事件判決書の複写(メモ、カメラ撮影、コピーなど)許可、宇部村、安下庄町以外の米騒擾事件の判決書の開示・閲覧・複写の許可が不可欠である。

高野義祐は2年がかりで宇部騒擾事件の判決書を筆写して『米騒動記』(1959年)に掲載しており、当時は筆写が許可されていたが、その後、どのような経緯で複写が許可されなくなったのかは不明である。過去に筆写が許可されているのに現在不許可とすることはできないはずなのだが。

検察庁保管の判決書は歴史研究のために開示できることにはなっているものの、開示の申請手続きの法令が存在しない。現状では検察官の判断で開示がおこなわれるので検察官が首肯できる理由を示さなければならない。検察官の開示の判断基準は示されていないので裁判書の閲覧には困難が伴う。

研究目的で請求しても不開示とされる理由は明確には示されていないものの、係官から受けた印象としては、検察庁が博物館・公文書館の性格がなく開示の態勢がないことと個人情報保護が最大の理由であると推察する。

検察庁は多忙であり、施設・人員・予算面の課題がある。また、研究者の史料の取り扱い方、個人情報の拡散(デジタル画像等)の可能性等があり、個人情報の取り扱いについてのガイドラインが必要と考える。歴史研究目的による開示の申請手続きの法令の整備とともに、検察局にとって判決書等の開示が負担とならない予算と人員の確保が必要である。

当面は、検察官が納得できる開示請求をし、検察官の理解を得る方法しかないのが現状である。

 

県内米騒動の裁判記事を掲載した新聞

県内米騒動の裁判は新聞記事で知ることができる。

県内の裁判を記載した主な新聞は『防長新聞』(山口町)、『馬關毎日新聞』(下関市)、『關門日日新聞』(下関市)がある。これらの新聞は山口県立山口図書館が所蔵しており、複写本の閲覧と複写ができる。