弥富村・鈴野川

弥富村・鈴野川に管理者が紫色のピンを置いた。黒いピンは、たたら製鉄、造船、鉄鉱石鉱山関連地。地図のは、イージス・アショア配備候補地(陸上自衛隊むつみ演習場)でしたが、イージス・アショア配備計画は停止されました(2020.6.15)。

1889年(明治22)の町村制で、弥富上村、弥富下村、鈴野川村が合併して弥富村が発足した。

弥富村は1955年須佐町と合併して須佐町となり、2005年須佐町は萩市などと合併して現在は萩市。

展開

弥富村内の東部を構成している旧鈴野川村の地域で発生した米騒動。

弥富村の検事処分者はありませんでした。

旧鈴野川村の地域は、戦後まで高品質の鉄鉱石の産出地でした。

 

新聞記事

≪防長新聞大正7年8月27日≫「●阿北の暴動▽各村に起りたるも▽大事に至らで鎮静」。

(前略)「彌富村にては大字鈴野川にて暴徒集團し豫て米の買占めをなし▼細民に同情(情の月は円)き評判髙き〇〇〇〇方を襲ふ事を決議し居りたるを元郡會議員某氏が内偵し、急を村役場に報ぜしより岩本助役直に現場に至り一同に其無謀なるを懇々諭し漸く大事に至らず群集は散会せり」

≪周辺の文化財≫熊野鉱山跡

萩市(旧須佐町・旧弥富村)大字鈴野川には、上記HP一覧表の143・144鈴野川(すずのがわ)たたら製鉄遺跡、145熊野鉱山跡(萩市鈴野川字阿武台・大字片俣字小国)がある。

熊野鉱山は、『山口新聞』(2014年4月23日)の「東流西流」に「藩政時代から採掘され、鉱山主が幾度か交代しながらも昭和30年代初頭まで採掘されていました」、昭和20年代には「純度の高い鉱石(註:鉄鉱石)は、国内では最高水準(註:純度92~93%)で通産局の鉱山表彰も得ていました」とある。

記事には「山は大いににぎわい、パチンコ屋や鉱山の野球チームもあったとか」とあるが、現在は1軒の民家を残すのみとなっていると聞きました。

米騒動のあった大正時代の鉱山のようすはわかりませんが、弥富村の鈴野川地区は藩政時代以来、鉄鉱石(あるいは砂鉄)の採掘がおこなわれていた地域でした。

 

熊野鉱山鉱夫と鈴野川の米騒動の関連は不明である。

≪参考≫大板山たたら製鉄遺跡(世界遺産)の位置

鈴野川は、大板山(おおいたやま)たたら遺跡と遠くない位置にあります(地図参照)。上記の大板山のHPでは、たたら製鉄の原料となった砂鉄は島根県から北前船で奈古港に入り駄馬で大板山に運ばれたとあります。しかし、大板山で製鉄をした3度の期間のすべての原料が島根県産の砂鉄とするなら、港に近い場所でたたら製鉄をおこなうのが効率的で、大板山は奈古港からは遠すぎるのではないかという疑問が残ります。

阿武火山群の各地で鉄鉱石などのたたら製鉄の原料が採掘されたとみられ、大板山たたら製鉄遺跡の位置も原料産地と関連があったとも考えられます。

萩市立弥富小学校休校(~2019.3.31)

「NHK 2018/10/14

実りの秋を迎え、萩市では、来年休校することが決まっている小学校に通う子どもたちが自分たちで育ててきた稲の刈り取りを行いました。
児童数の減少で来年、休校することが決まっている萩市の弥富小学校では、毎年、学校近くの田んぼを借りて児童が田植えから稲刈りまでを体験しながら農業について学んでいます。
11日は、全校児童6人が6月に田植えを行った稲の収穫を行いました。
児童たちは、地域の人たちと一緒に約10アールの田んぼで黄色く実ったもち米を鎌を使って刈り取っていました。
そのあと、「はぜかけ」とよばれる穂を乾燥させる作業を地元の農家の人に教わりながら、丁寧に稲をかけていました。
児童が育てた米の収穫量は400キロほどになるということで、来年1月に小学校で餅つきを行い味わうことにしています。
稲刈りをした女子児童は「はじめて稲刈りをしたので楽しかった」と話していました。
また、別の児童は「地域の人に教わりながらの作業が楽しい。毎年、手伝ってもらえるので助かっています」と話していました。
児童や地域の人たちは記念撮影をして、休校を前に最後となった稲刈りを思い出に残していました。」

萩市弥富地区(旧弥富村)から小学校が消えてよいのだろうか。

萩ジオパークのジオサイトが近くにある弥富小学校が2019年度から休校になる。すでに鈴野川小学校が2010年に休校になっており、弥富地区の小学校が消える。

1877年小川小学校弥富分校として創立、翌年弥富小学に改称、1883年に弥富小学校となった、140年の歴史を持つ伝統校で、弥富地区・旧弥富村の歴史とともにある小学校である。

1899年町村制により、弥富上村、弥富下村、鈴野川村が合併して弥富村となり、1955年須佐町と合併して須佐町となり、2005年萩市と合併して、現在萩市の弥富地区となっている。

在校生に6年生が多く、今後の入学者が少ないと予測されているのかもしれない。しかし、旧弥富村に存続する唯一の小学校である。地域の活性化のためにも児童が1人でもいれば存続を諦めてはいけないと考える。小学校の休校は地域の拠り所をなくし、弥富地区の今後の発展にダメージを与え、少子高齢化を克服して「山口創生」めざす政治に逆行することになるのではないか。

休校ではなく、小学校を維持しながら、地域の再生を図るため、住民と行政が一体となって小学生を増やす努力を継続すべきではなかったか。

在校生は、近隣の小学校に通学することになるのだろう。そうであれば週に2回程度他校に通学して社会性を高め、少人数教育のデメリットを補うことができるのではなかろうか。また、近年はICTの活用が急速に進んでおり、遠隔地を結ぶ教育も可能になっていて、むしろICTのモデル化もできるのではなかろうか。小学校の教科担当制も検討されている(柴山昌彦文科相、中央教育審議会に諮問2019.4.17)。そうなれば、ICTの活用で、英語の授業などで遠隔地の大規模小学校との合同授業が効果的となるのではないか。

須佐町は萩市と合併したが、小学校の休校は合併に疑問を抱かせることにならないか。過疎地の多い萩市では、今後も他地域で小学校の休校がすすむことが懸念される。小学校の教育には費用対効果という財政的側面からの休校はあってはならないと考える。教育費を惜しんではならない。

萩市は、弥富小学校のHPにある「ふるさとの人と自然を愛し、自ら未来を切り拓く弥富っ子の育成」を図るため、休校を早期に終えて再興する努力をするべきだ。たとえば、小学校の運動会は地域を元気にすることができるし、連携する小学校から児童を招いて運動会を実施すれば地域の活性化に繋がるのではなかろうか。このままでは、少人数校の休校が拡大し、過疎地の再建につながらず、衰退に拍車がかかることになるのではなかろうか。

 

萩市立弥富小学校(2019休校予定)。管理者撮影。
萩市立弥富小学校(2019休校予定)。管理者撮影。

「萩・佐々並小存続へ 地域で移住促進」(『朝日新聞』2021.4.9「やまぐち」面)

 「萩市の山間部にあり、校区に未就学児がいなかった佐々並小学校に8日、新1年生が入学した。今春、宇部市から引っ越してきた西岡田慧君(6)。「学校を存続させたい」と保護者や教職員、地域住民らが一丸となった活動が実を結んだ。」「ささラブ応援隊」の「結成を提案した舩木美弘校長(55)は「地域と保護者、行政、学校が『4輪駆動』で頑張ってきたから実現できた。学校があるからこそ、若い人が集まる」。」

 4者が一体となった移住促進が、佐々並小の存続に繋がるに違いない。児童がいなくなるから、費用対効果を考えて、あるいは少人数だから教育効果が上がらないなど、廃校や休校の理由を探すべきではない。地域社会にとって小学校の存続はなくてはならない。今回のように、どのようにして地域社会や少人数学校を活性化するのか、知恵をだして創造していくことが教育行政に求められている。

2021.4.10

周辺の風景

萩ジオパーク(2018認定) 「龍が通った道」(伊良尾山噴火による14㎞に及ぶ溶岩流跡)のジオサイトの1つ、弥富地区にある「畳ヶ淵」

伊良尾山噴火による溶岩流が冷え固まるときに六角形の柱状が形成された。畳ヶ淵では垂直面と水平面の柱状節理が観察できる。奥側の崖が垂直面の柱状節理。
伊良尾山噴火による溶岩流が冷え固まるときに六角形の柱状が形成された。畳ヶ淵では垂直面と水平面の柱状節理が観察できる。奥側の崖が垂直面の柱状節理。
六角形の石畳群。約1メートル。ゆっくり冷えると大きな柱状となる。水平面の柱状節理。
六角形の石畳群。約1メートル。ゆっくり冷えると大きな柱状となる。水平面の柱状節理。

萩ジオパーク・阿武火山群・伊良尾山と「龍が通った道」(伊良尾山噴火の溶岩流が流れた場所)。ウィキペディア「阿武火山群」掲載の画像に管理者が書き込んだ。
萩ジオパーク・阿武火山群・伊良尾山と「龍が通った道」(伊良尾山噴火の溶岩流が流れた場所)。ウィキペディア「阿武火山群」掲載の画像に管理者が書き込んだ。